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ウィスカセット (メイン州) : ミニ英和和英辞書
ウィスカセット (メイン州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ウィスカセット (メイン州) : ウィキペディア日本語版
ウィスカセット (メイン州)[す, しゅう]

ウィスカセット()は、アメリカ合衆国メイン州南海岸のリンカーン郡に属する町であり、同郡の郡庁所在地である。州内のミッドコースト(海岸中央部)と呼ばれる地域に入っている。2010年国勢調査では人口3,732 人だった。町内には環境教育を行っているチェウォンキ財団があり、古い建築物があるので観光地になっている。
== 歴史 ==
1605年、フランス人探検家サミュエル・ド・シャンプランがここに上陸し、土地のインディアンと贈り物を交わしたと言われている。潮汐のあるシープスコット川沿いにあり、1663年に入植が行われた。1675年のフィリップ王戦争のときに村が放棄され、1730年頃に再入植があったが、フレンチ・インディアン戦争でも放棄された。1760年、マサチューセッツ湾直轄植民地総督のトマス・パウナルにちなんでパウナルボロとして法人化された。1802年、当初のアベナキ族インディアンの名前、ウィスカセットに戻された。この言葉は「港から出て来るがどこにいるか分からない」という意味がある。
アメリカ独立戦争のとき、イギリスの軍艦''レインボー''がウィスカセット港で停泊し、町から補給物資を差し出すまで威嚇を続けた。
1775年、ジャック・バンカー船長がウィスカセット港に停泊していたイギリスの補給線''ファルマス・パケット''から給与支払名簿を盗んだとされている。その後何日も追跡され、リトルシール島で捕まえられた。その宝物が見つけられることはなかったとされている。
独立戦争のときに包囲戦があったので、1808年にシープスコット川の対岸にエッジコム砦が建設され、町と港を守ることとされた。ウィスカセットの町が繁栄した証として、港が私掠船で重要な位置にあったときに建設された連邦様式の建物などが残されている。この時代に建てられたキャッスル・タッカーとニッケルズ・ソートウェル家屋の2軒の住居は現在、非営利団体のヒストリック・ニューイングランドが運営する博物館になっている。
ウィスカセットの海港は造船、漁業、製材業の中心になった。ボストンの北では最も繁華な海港になっていたが、1807年の通商禁止法によってイングランドとの貿易のほとんどが止められた。ウィスカセットの事業と貿易業の大半が潰された〔。
1820年、メイン・ミズーリ妥協の成立によって、メインは公式に州に昇格された。ウィスカセットの町を州都にすることも検討されたが、大洋に近いという理由で採用されなかった。
南北戦争のとき、ウィスカセットの住人が多くメイン第20志願歩兵連隊に入隊した。この連隊はゲティスバーグの戦いで勇敢に戦ったとして顕彰された。
1871年、ノックス・アンド・リンカーン鉄道がウィスカセットまで開通した〔
〕。この鉄道は1901年にメイン・セントラル鉄道に吸収された。1927年、ケネベック川に架かるカールトン橋の完成によって、全国的な鉄道網に繋がることになった。
ウィスカセットは2フィート (610 mm) 狭軌のウィスカセット・ウォータービル・アンド・ファーミントン鉄道と標準軌の交点であり、海港の終点だった。工事は1894年に始まり、列車の運行は1895年にウィスカセット・アンド・ケベック鉄道として始められた。1913年までに43.5マイル (70 km) 北のアルビオン町まで毎日貨物と旅客列車が運行され、ウィークスミルズからノースバッサルボロまでの11マイル (18 km) の貨物用支線もあった。
旅客と貨物は、第一次世界大戦の後に次第に道路交通に頼るようになった。フランク・ウィンターが1930年頃に鉄道を買収し、チャイナから持ち船のスクーナー、''ヘスパー''と''ルーサー・リトル''まで木材を運ばせた。1930年代初期、早朝の列車がアルビオンからウィスカセットまで運行され、午後の列車がアルビオンに戻り、アメリカ合衆国でも最後の2フィート (610 mm) 狭軌の郵便車を移動させた。1933年6月15日、ホワイトフィールドで朝の列車が脱線して、鉄道輸送が中断され、その後はスクーナーに材木を積んで海岸の大都市に運んだ。
近年まで、アメリカ国道1号線の橋近くに停泊する2隻の船が観光の対象になっていた。それはウィンターの4本マスト貨物スクーナー、''ヘスパー''と''ルーサー・リトル''だった。この2隻は起業家のフランク・W・ウィンターが競売でそれぞれ600ドルで落札し、1932年にウィスカセットに曳航してきた。その後ウィンターの早すぎた死去のあとに放棄された。その後の66年間、老朽化したこれら船舶はメイン州でもよく写真の対象にされるものになった。。1998年、暴風のために最後のマストが折れ、朽ち果てた残骸はシープスコット川から除去されることになった。

ファイル:Castle_Tucker,_Wiscasset,_Maine,_USA_-_Cropped_2012.jpg|キャッスル・タッカー、1807年建設
ファイル:Main Street in 1900, Wiscasset, ME.jpg|メインストリート、1900年
ファイル:The Jail, Wiscasset, ME.jpg|ウィスカセット監獄と博物館、1912年頃
ファイル:Custom House & Post Office, Wiscasset, ME.jpg|旧税関と郵便局、1870年建設


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウィスカセット (メイン州)」の詳細全文を読む




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